
1985年
1985年4月出版
私がアメリカ人学生に、そして読者の方にお勧めしようとする建築散歩の周遊指定の
候補地は次のようなところである。実はそれらは読者の方々がよく御存じのところばかり
かもしれない。しかしこの建築散歩にはひとつのクイズがついている。クイズのついている
ところが、この建築散歩の味噌でもある。このクイズの答がすらすらとおわかりになる方は
私の述べようとすることの大部分をすでに了解されているのだと思う。
その建築たちとは以下の通りである。
1 明治神宮
2 平安神宮
3 靖国神社神門
4 築地本願寺
5 湯島聖堂
6 震災記念堂
7 大倉集古館
8 祇園閣
そしてそのクイズとは、「これらの建築の共通点は何か?」である。
さて、いかがであろうか。まず、ずいぶんと古色のかぶった建築が多いな、とお思いになる
だろうし、次に初詣などで実際に行かれたり、あるいは遠くから眺めてその存在をはっきり
と御存じだったりして、以外にポピュラーなものが多いとお感じになているのではないかと思
う。また、平安神宮と祇園閣を除いては、東京の、それも中心地に近い方に集まっているの
で、東京の方々には馴染みが深いものが多く、また東京以外の方々にはこれらの建物は、
あるいはかなり縁遠いものと目に映るかもしれない。ちょうど東京の人に、八坂神社の傍に
立つ祇園祭の山鉾をかたどった祇園閣が、祇園祭に馴染みがないときはずいぶん記憶に
薄いものとなってしまっているように。
しかし、かなりの方にとってこれらの建築の多くはポピュラーなものであろうし、また生活の一
部となっているのではないかと思われる。
明治神宮へは初詣に行かれる方も多いだろうし、修学旅行で行ったという方も多いと思う。平
安神宮も同じことである。明治神宮が東京でもっている感じは平安神宮が京都でもっている漢
字と似ているように思われる。靖国神社は、これらの建築のなかでは最も全国的な施設といえ
ると思う。戦没者の慰霊という役割の中心としてである。築地本願寺は魚河岸の左側、勝鬨橋
の手前にあって魚河岸場外のこまごましたマーケットと対照的にドシンと大きく、また何か異様
さをもあたりに払っている建築である。湯島聖堂は国電御茶ノ水駅の聖橋のたもとにあって、プ
ラットフォームからは神田川の向こうに水平に延びる塀と木立に囲まれて、屋根の上の異形の
飾りを見せている。震災記念堂は両国駅に近く蔵前橋を渡ったところの横綱町公園内にあり、
大倉集古館はホテル・オークラの敷地内、アメリカ大使館側の道路に沿って建っている。祇園閣
は八坂神社から清水寺へ抜けるあたりに建っている。
おおよその位置については、すべてわかりやすいところにあり、東京のものも距離的にはそれ
ほど離れていないところにある。
八つの建築の特徴点
さてそれではクイズの方であるが、これらの建物の共通点とはなんであろうか。まず、なんとな
く古めかしい建物ばかりである。古色蒼然という言葉がふさわしいかどうかは別にして、今日ふ
うの建物、近代的な建物でないことは明瞭である。しかもピカピカという感じはすでになく、全体
にくろずんで、都市のなかでもしずんでいて、大げさにいえば都市のなかでひとつの暗所を形成
しているようなふしもある。
これらの特徴を思いつくまま箇条書きにしてみよう。まず、すぐに思いつく特徴は三つある。
1 古い建物である。近代的ではない。
2 街並みのなかで翳りを持った部分となっている。
3 建物の機能は記念碑的性格である。
それぞれに日常生活のためにつくられたのではなく、何かを記念したり、顕彰したりするために
つくられているようである。そこにこれらの建物の特徴があり、また私たちの足もしげくそちらに向
いていない理由がある。
明治神宮は明治天皇を記念して建立されたものである。今の野球場や国立競技場のあるフィー
ルドや明治天皇の業績を顕彰して絵画にして展示した絵画館のある明治神宮外苑とセットになっ
て形成された明治神宮内苑の中心である。平安神宮は、なにか強烈に朱色で緑の甍ののった壮
大にして不思議な建物だが、京都御所や古い社寺との関係がイマイチ不明快な部分がある。それ
もそのはずで平安神宮は、維新で天皇が京都を去って東京遷都をしてしまった後、もぬけの殻に
なってしまった京都の人たちが、天皇在りし時代、794年以来11世紀間の天皇家京都御在住を
記念して建立したものである。思えば、鎌倉幕府以来、政治経済の実権を握るものが京都外にあ
って国内を統べてきて、わずか室町期のみ天皇家と実権者がともに京都にあった。前章で述べた
そうした京都と他の地の二元性を、徳川慶喜の大政奉還とともに逆に天皇家が関東に移住するこ
とによって、天皇即政経の実権者となり一元化しようとした。その画期的事件の記念碑として平安
神宮は建立されたのである。実際には平安京の創始者である桓武天皇と京都最後の天皇である
孝明天皇が祀られている。
靖国神社はいわずとしれた全国戦没者の慰霊のためのモニュメントである。神門は大鳥居と拝
殿の中間にある。靖国神社は明治の初めに大村益次郎が建議してつくられたものである。
築地の本願寺はなにか異様な感じを与える建物であるが、大正12年の関東大震災でそこにあ
った本願寺が焼失してしまって、再建された時にあのような姿になったものである。京都の両本願
寺と比較した時、その形はむしろインド的でまったくユニークな仏教施設である。
湯島聖堂は孔子を祀ったものである。徳川幕府の学問であった儒学の中心施設として林羅山が
寛永期に孔子廟を創建したことに端を発している施設であり、神社・仏閣とは別の系統に属してい
る。
震災記念館は、文字通り関東大震災の悲劇の鎮魂のモニュメントとしてつくられたものである。一
箇所で最も多くの焼死者を出した場所が、現在震災記念堂の建っている本所の被服廠跡であった。
広場なら安全だろうと、続々と非難してきた人たちが一瞬にして焼死し、なんとここで無慮3万8千人
の犠牲者を出したのである。そしてそこに記念堂が建てられた。現在は第二次世界大戦の東京空
襲の犠牲者とあわせ、東京都慰霊堂として霊が祀られている。
大倉集古館は、大倉家により蒐集所蔵された中国関係の古美術品の陳列館としてつくられた。
祇園閣は八坂神社と清水寺の間にあり、祇園祭の山鉾の先頭をいつもつとめる長刀鉾をかたど
っている。祭の日に巡行するものが記念物として建っている。
これまで挙げた三つの特徴以外に、まずこれらの建物は記念碑的ではあるけれども、権威の中心
という性格を正面に出しているのではなく、思いのほか「庶民的」性格を帯びていることも、共通した
性格ではないだろうか。たとえば、その典型的な例が明治神宮ではないかと思う。毎年初詣に明治
神宮に行く人の数は、大変な数である。三箇日でおおよそ380万人にのぼるという。私もそのひとり
だけれども、その群集が玉砂利を踏む音はずいぶんと遠くからも聞こえる。しかし、明治神宮に行っ
て、御賽銭を投げ、拍手を打って、1年の平穏無事をお祈りする私ではあるが、考えてみると誠に申
し訳ないようなのだが、お願いごとを明治天皇に直接お祈りしているという気分はないし、むしろそれ
どころか、明治天皇という個人はほとんど意識されていない。明治神宮といえば初詣に行くところで、
その意味は川崎大師であれ、成田山の新勝寺であれ、あまり変わりはなく、ただ東京に住む人間と
して東京の明治神宮へお参りに行く、そういったなんとも地縁的な動機で明治神宮が選択されていて
申しわけないようである。しかし、このことは、実はかなりの人も同じような状況なのではないかと考え
ている。つまり、あの大きな森のなかを玉砂利を踏んで初詣するという庶民的動機を、あの記念碑は
その創建意義と無関係に受け入れている、ということである。そして群集をさばく動線計画の配慮もよ
くできていて、これは名古屋の方には失礼になるかもしれないが、尾張一の宮の熱田神宮のように延
々と待たなくても参拝がすませられるのも嬉しい。明治神宮がもし単純に明治天皇の業績を顕彰しよ
うとするのであれば、たとえばローマのヴィトッーリョ・エマヌエレ二世のモニュメントのように壮大な建
造物や雄壮な彫像を立てても然るべきであったと考えられる。
しかし、今日モニュメントとして立てられた彫像は、上野の西郷さんとか渋谷の忠犬ハチ公とか、ご
く庶民的な主人公でなく、軍人の騎馬像場合は、もう誰が誰だかどんな偉い人だったのか皆目わから
なくなってしまっているし、またその彫像が立てられた当時はモニュメンタルな人でも、今日では庶民の
生活には別にどうということのない人になってしまっているのである。たとえば、靖国神社に立つ像が大
村益次郎であるということを知らなくても、別に私たちの日常生活にはどうということもない。それどころ
か、こういう像は、私たちにその人物がかえって無縁なものだと思わせてしまうところもある。つまり、も
し明治神宮の入口に馬上の明治天皇像でも立っていたら、かえって明治神宮は私たちにとって縁遠い
ものになってしまったのではないか、と思えるのである。他の建築物についてもこうしたことはいえる。
記念するものについて大した知識がなくともふらっと入っていけるような気安さをこれらの建物はもって
いる。
さて、その次に第五の特徴として、これらの建物をつくり上げている材料をみると、ほとんどが鉄筋コ
ンクリート造であることに気づく。実は明治神宮以外のすべてが鉄筋コンクリート造であり、明治神宮だ
けが木造である。ということは、これらの建物は古めかしい感じがするけれども、意外とそのつくられた
時代は新しいのだ、ということになる。だから技術的にはまったく今日的でありながら、しかもその表現
はなんとなく古めかしい、ということになる。
では、第六の特徴として、これらの建物はいったいどういうかたちをしているのだろうか。材料は鉄筋
コンクリートという近代的なものだとしても、かたちはどこか近代的でない。そこがこれらの建物に街の
中でなにか特殊性を与えているのである。つまり、街中の圧倒的な大多数、ほとんどすべての建物が
鉄筋コンクリートやガラスや鉄やその他アルミなどの非鉄金属などの材料を使って、基本的には直方
体の箱型の形をしているのに対して、これらの建物はどこかもっと造形的なのである。これらのかたち
について一つ一つ建築的に考えてみると実は次のようになる。
・ 明治神宮ー流造という神社様式

・ 平安神宮ー中国古代の宮殿の様式

・ 靖国神社神門ー伊勢神宮に代表される神明造という神社様式

・ 築地本願寺ーインドの仏教様式

・ 湯島聖堂ー中国の孔子廟の様式
・ 震災記念堂ー入母屋破風の日本の社寺建築

・ 大倉集古館ー中国の石造建築

・ 祇園閣ー祇園祭の山鉾のかたち
これらのかたちの共通点を挙げてみると、日本・中国・インドの様式が含まれているから、「アジアの
かたち」ということになる。たしかにヨーロッパ風なかたちは含まれていない、そこがこの建築群を特徴
づけている。そして、これらの建物がなにか特殊な、あるいは異様な感じがするとすれば、それは逆に、
今日の東京の街のなかにアメリカやヨーロッパ的、あるいはいいかえれば近代的な建築が溢れている
ということになるのである。
最後に、これまで挙げたようなひいてはアジア的な相貌を持つ建築群、それがこの建築散歩の見ど
ころであろうか。しかし、もしそれが見どころであるとすれば、この建築散歩には他にも候補がありそう
なものである。早い話が浅草寺はどうであろうか、成田山の新勝寺はどうであろうか。
実はこれらの建築群にはもうひとつ際立った特徴がある。これだけ公共性の高い、しかも異貌を帯び
て近代的な街並みに融けこんでいる建築、私たちとしてみれば、むしろ大昔より所与の存在としてそこ
にあったような気のする建築。そういう都市要素には珍しいことなのだが、そこには一貫した特徴があ
る。その特徴には建築にたずさわる私自身もはじめは驚いてしまったものである。
ここまでお話すれば、もうもったいぶらずに答えを明かした方がよさそうだ。その答は、これらの建築
群は実は、みな「ひとりの建築家によって設計された」ものなのである。
これだけの建築群が、なにか合議制のような政府組織によって図面が引かれずに、ある単独の個人
によって設計されたという事実は、驚きである。そして、さらに、これらの建築群が私たちの生活に溶け
こんでしまっていて、しかも建築家の名前が忘れられてしまっているということも驚きである。
その建築家の名を「伊東忠太」という。